ようこそ、和の世界

きものという素晴らしい文化があったから、文楽の人形は生まれたんです。

「人間以上に人間らしい」と評される文楽の人形を遣う桐竹勘十郎さん。
歌舞伎と違って世襲制ではない文楽の世界に入門するきっかけや、伝統芸能の厳しさなどを伺いながら、勘十郎さんと文楽の魅力に迫ります。

ーーー 初心者でも楽しめる文楽の魅力とは?

浄瑠璃を語る「太夫」と「三味線」、そして「人形」の三つが一体となったものが文楽です。人形は、首(かしら)を遣う主遣い(おもづかい)、左手を遣う左遣い、足を遣う足遣いの三人で動かしています。義太夫節がわかりづらいかもしれませんが、国立劇場は字幕を出していますし、音楽劇なのでオペラやミュージカルのような感覚で観ていただけたら楽しめると思います。

ーーー 子供の頃から人形遣いになりたかったのでしょうか。

僕は長男でしたが、父(二世桐竹勘十郎さん)から後を継げとも言われませんでしたし、少年時代は体力がないうえ動きも鈍かったので、人形遣いは無理だと思っていてね。大阪の国立文楽劇場のロビーに設置してある観劇記念スタンプの原画を細いペンで描いて25年間ずっと続けていたのも、昔は漫画家志望だったから。2013年に漫画家協会にも入れてもらいました。

ーーー では、なぜこの道に?

1966年5月に「通し狂言絵本太功記」が上演され、人形が10体並ぶ場面がありました。単純計算でも人形遣いは30人必要なのに、全員で27人程。そこで関係者の子供たちに声をかけて集めたのが、僕や(吉田)玉女さんら中学生5人と高校生1人の6人でした。まったくの素人だった僕らに「これ持ってじっとしてたらええねん」。動くところは先輩に変わってもらってね。その舞台が面白くて、中学卒業後、人形遣いの道に進みました。

ーーー 修業時代はいかがでしたか。

怒られておぼえる、の繰り返し。何がいけないのかは教えてもらえず、自分で考えろ、と。ですから他人が怒られているときは、忙しくても立ち止まって聞きます。失敗するのは財産ですよね。どんなに厳しい世界でも、「好きの度合いは誰にも負けない」という気持ちがあったら乗り越えられるんです。

ーーー 文楽は2003年に世界無形文化遺産に登録され、海外公演なども盛んです。

海外公演では、いつも喜んでいただけます。2012年に行ったアフリカのアルジェリア公演で、若い記者たちが「日本は最先端の技術を持ったハイテクな国だと知っていたけど、何百年と続く伝統をずっと大事にしているのは、今日、文楽を観てはじめて知りました」と。それを聞いた時は本当にうれしかったですね。きものという素晴らしい文化があったから、文楽の人形は生まれたし、和服の良いところをいっぱい動きに取り入れて工夫されています。だから、きものを着る人がもっと増えて、文楽を身近に感じていただきたいですね。

小袖64号(2015年1月10日発行 )に掲載

桐竹 勘十郎さん

撮影/岸田 五月

桐竹 勘十郎(きりたけ かんじゅうろう)

1953年大阪生まれ。父は人間国宝の二世桐竹勘十郎。
1967年文楽協会人形部研究生になり、三世吉田簑助に師事。2003年父の名跡を継ぎ、三世桐竹勘十郎を襲名。1988年大阪府民劇場賞奨励賞、1999年松尾芸能賞優秀賞。2008年芸術選奨文部科学大臣賞、紫綬褒章、国立劇場文楽賞文楽大賞。2009年日本芸術院賞。